Last Updated on 2011年2月26日 by kabekin
JR可部線 河戸駅 復活おめでとう!!
今朝、Yahooのニュースを見ていると可部線の廃線区間一部復活見込みのニュースを発見。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110203-00000116-mai-soci
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201102030053.html
http://www.k4.dion.ne.jp/~radion82/docs/page1.jpg
私の実家の最寄駅は河戸駅だったので最も思い入れの深い駅でした。
復活する河戸駅はどんな感じになるのでしょうか??
楽しみです。
廃線になる前平成15年5月15日に撮った写真を紹介します。
入口の写真。この頃から河戸駅までの電化延長運動は進められていました。
ホームから今井田駅方面を写した写真。
ホームから可部駅方面を写した写真。
待合室の設備はきれいになっていました。
隣の踏切から河戸駅全体を写した写真。
私の好きだった頑張れかべせんのステッカー
三段峡・加計方面からキハ47・48(58だったかもしれない)が入ってくるいつもの光景。
通学時雨が降ると土砂崩れで列車がこないこともしばしば・・・
そんなときは可部駅?から放送がありました。
廃線前日に 最後の三段峡-可部間を楽しみました
最終日の切符。記念にもらって帰りました。
三段峡駅の「さようなら ありがとう可部線」看板
河戸駅に4両編成が入ってる光景を見たことは最初で最後でした。
最終日、列車を降りて河戸駅で写真を一枚。この雰囲気が好きでした。
平成15年1月に写した写真も出てきました。
駅前倉庫横の自転車置き場とチャンポン屋
少しきれいに修復されていたトイレ
しばらくして実家に戻った際、河戸駅を見に行くと
線路は封鎖されこんな感じに
駅への出入りは自由な状態でした。
踏切もバーが取り外されています。
可部駅の表示もシールで対応
この頃は民間(太田川鉄道)の力で廃線区間を復活させようとしていたので、線路や踏切等電気関係の設備もしばらくそのまま残っていたような気がします。
私も復活大賛成で太田川鉄道株式会社の株を買いましたが結局ダメダメな結果に終わりました。
この太田川鉄道株式会社がうまくいかなかった原因は周りの協力がなかったのも原因だが、株主へ時々届いていたお知らせを見る限り内部のゴタゴタが問題だったような気がしています。
新しい河戸駅に期待ですね!!。
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2月3日中国新聞朝刊1面に大きく報道されています
JRの測量と基本設計が3月末で経営会議で事業化の決断とあります。
OKが出る事を期待しましょう!
株式購入参加も無駄ではなかったですね パーになりましたが!
>ふじちゃんさん
参考資料のリンクを追加しました(^^)
当時ご出資していただいていた方でいらっしゃいますね。
私も復活を心より喜んでおります。
>畑野洋一郎さん
コメントありがとうございます。
大田川鉄道断念の記事を見たときに賛同者の少なさに驚きました。
廃線前日に見かけた多くの廃線反対派の方が何もしなかったことが私的に衝撃でした。
しかし大田川鉄道のお金の管理はきっちりしており解散時にほぼ出資額が戻ってきたことも良い思い出です。
可部人としてこれからも応援しています(^^)
広島市の資料を見ると、新しい終点は旧河戸駅西方の旧県営住宅跡地付近に設置されるようです。運行本数は現行の可部駅並みを予定とか…。
http://www.city.hiroshima.lg.jp/kankyou/eia/tetuzuki/kabesen/jr-keikakusyo03.pdf
ちなみに、例の可部線再生運動関連でこんなブログ記事を見つけました。
http://miurafarm.seesaa.net/article/118673707.html
廃線に反対していた人が、実は開通時にもイザコザ(筒賀経由反対)を起こしていたとか…。「なんだかな~。」という感じですね。住民が再生運動をスルーしていた理由が分かる気がします。
ちなみに、廃線時に可部線に所属していたディーゼルカーはキハ40(2000番台、2100番台)だけですね。たまに、臨時列車や増結用に他線区のキハ47、キハ58、キハ28が助っ人で入ることがありましたが…。キハ48は寒冷地用なので、可部線とは無縁かも…。
>牡丹鍋さん
コメントありがとうございます。
可部線の歴史でこんなことがあったんですね。興味深い情報ありがとうございました。
なるほど・・・ って感じです。
以前通学で使っていた頃(まだ黄色ではなく朱色だったかな)、キハ40の一両編成又はキハ47-キハ47の2両編成とキハ47-キハ48の2両編成があったように記憶していましたが、改めてネットで調べてみるとキハ48ではなく58だったかもしれませんね。
インターネット、便利です。
可部線といえば、米田十郎さんの「芸備線とつなげよう」というアイデアも忘れられません。
私は米田さんの地元に住んでいました。父がよく米田さんのアイデアを捨てるとは地元もダメじゃのうと言っていました。
可部線大好きな私は太田川鉄道の話があったときに微力ながら株を買って応援しましたが、募集終了後に蓋を開けてみるとまさかの結果が待っていました。
可部-三段峡間の廃線を防ぎたいという話はたくさん聞きましたが、いざ廃線になって復活させようとしたときに行動を起こした人の少なさを実感・・・
このときに可部-三段峡間廃線の根深さを思い知ったような気がします^^;;;
河戸駅がうまく行けば、調子に乗ってその先もってなればいいなと思います。30年のスパンでいいから。
「可部-河戸間の電化計画」と「可部-三段峡間の存続」の問題は別々に考える人が多かったように思うのですが、可部人の私としては前者は比較的盛り上がっていて、後者はそうでもない印象を受けていました。
可部-河戸間の電化計画は可部だけの問題でしたが、可部-三段峡間ともなるとエリアが広すぎて一つになれなかったのかなぁといった印象です。